田中
本日はよろしくお願いします。
まずは、生年月日と出身地をお願いします。
鈴木氏
昭和50年3月30日生まれで出身は長崎県諌早市です。
田中
どんな子供時代でしたか?
また、お菓子の道に進みたいと思うようになったのは?
鈴木氏
幼いころから母の隣で台所仕事を手伝ったりするのが好きで小・中学生のころは、暇があればお菓子作りや洋裁をしていました。
でも、お菓子を作ることを自分の仕事にしようなんてことは考えてもみませんでした。
シェフ
高校3年になり大学に進学するほうがいいのかなと漠然と考えていました。
大学に行くとしたら、家政科の食物か被服かな、でも卒業後はどんな仕事に就くのだろう‥‥‥。
そんな時にいつも読んでいた オレンジページやレタスクラブという雑誌の編集部に興味を持ち、その後に雑誌に料理やお菓子を紹介している料理・菓子研究家の方が面白い仕事だな、と思うようになりました。

そんな時、たまたま行った友達のクラスに専門学校案内があり、興味半分で製菓学校のパンフレットを取り寄せてみました。
そこで初めてパティシエ‥‥菓子職人という仕事を身近に感じ、好きなことを仕事にできたらそんな幸せなことはないと思い、パティシエになりたいと強く思いました。

それまで受験生として勉強の毎日だった私が「パティシエになる、センター試験も受けない」と言い出したので、両親はとまどってましたね。
製菓学校はプロを育てる、ではなく花嫁学校としか思ってなくて‥‥。
短大を卒業したら製菓学校に行かせてあげると、交換条件で地元の長崎県立女子短期大学の家政科食物専攻に入学しました。
両親としては、その間に熱が冷めると思っていたようですが、その反対に夢はどんどん膨らんでいました。
田中
本当にお菓子作りが好きだったんですね。
修業や勉強を多くされたとのことですが、どんな所でされたんですか?
鈴木氏
短大の夏休みは大阪に住む姉の所に泊まり、東京では祖母の家にお世話になり、テレビや雑誌で紹介されたお店を中心に1日5〜6個はケーキを食べ歩きました。 短大時代は栄養士の勉強も大変でしたが、家でのお菓子作りも貴重な気分転換の時間でした。
短大の卒業研究は自分で決めてよいということで 「シフォンケーキ」にしました。卒業後は、約束通りエコール辻東京製菓専門カレッジに入学したんです。

卒業後は、千葉にある「フリアン洋菓子店」で働くようになり、最初社長からは「仕事はゆっくりするものじゃない。プロならスピードが大事だ」と言われました。ついつい家で作る時のように楽しんでしまって、作業が遅くなっていました。そこで自分なりに効率良く作業するように心がけ、一度に3つ4つのことを同時進行で考えながら仕事を進めていくことが面白くなってきました。

いつかは自分の店を持ちたいと思っていたので、休みの日には千葉から東京まで行きケーキ屋さんめぐりをし、自分の店のイメージを作っていきました。
ケーキの見た目・味だけでなく、内装、サービス、価格などをメモしていろんなお店のいいとこを自店に活かしたいと思ってました。
フリアンでは3年間お世話になりました。

両親からは早く店を始めようと言われましたが、私はまだまだ経験不足で、もう少し 色んな店で研修でもいいからお菓子を学んでみたいという気持ちがあり、東京のパティスリー・セレネーさんで3ヶ月研修という形で無給で仕事をさせてもらい、セレネーのシェフの紹介で、自由が丘にあるモンサンクレールという有名な店でも ゴールデンウィークで忙しい9日間、研修させて頂きました。

そこでの研修で辻口シェフからお店できるんじゃないのという言葉をかけて頂いたのと、2店の今までと違う厨房で仕事をしてみて「フリアン」での3年間の経験で最低限の技術は身についていたと分かり、何とか店を始められるんじゃないかと思いました。
田中
それで、いよいよオープンすることになったんですね。
鈴木氏
オープンする前に、もう1つ学びたいことがあって、その年の秋に池袋のラ・ファミーユさんで研修させてもらいました。
シフォンケーキ専門店で、私が感動したケーキの1つです。
翌年の1月に長崎に戻って、 開店準備に入りました。それと平行して2月に、どうしても行きたかった ヨーロッパ製菓視察旅行に参加してスイス、フランス、ベルギー、オーストリアなどの お菓子屋さんを廻りました。
帰国後は開店に向けて、手探り状態からのスタートでした。

「セレネー」のシェフは、私のイメージする店の図面を引いてくれて送って頂いたり、業者との交渉の仕方を電話でアドバイスをして頂いたりと大変お世話になりました。
そんな一番忙しい中で「テレビチャンピオン 甘味女王選手権」のお話が 舞い込んできたんです。

製作会社から「とりあえずプロフィールを送って」と約15枚のファックスが届き、ケーキについての質問に答え、エントリーすることになりました。この選手権はケーキや和菓子など甘いものに詳しい女性が参加して、どこの店の商品を当てるというものです。
収録の3日前に「来れる?」と電話があり出場することになり、意外と予選を勝ち抜いて、3位になりました。
テレビ東京では2000年の10月放送で、テレビ長崎では11月始めに放送されました。

文字

田中
それでは、シェリールの名前の由来は。
鈴木氏
シェリールとは「深く愛する」「大切にする」「こだわる」という意味です。響きと、意味と、言いやすいということでこの名前を付けました。
田中
オープン当時、いろんなマスコミや媒体に取り上げられましたね。
鈴木氏
2000年の10月31日にオープンしたんですが、テレビチャンピオンがきっかけで、そのお店がオープンするという事とテレビの影響でオープン前に行列が出来て、オープン当初は、多くのお客様が来られて、お店は一人で作って、二人で売るという状態でしたので、10時オープンで11時には全てのお菓子が売り切れる状態でした。

それから、次の日のお菓子を作るので、店頭にケーキがないという状態でした。
1週間くらいして、このままではお客様にご迷惑をかけると思い、1日に10時と3時の2回販売という体制をとりました。10時に出した分が11時に売り切れて、3時の分が4時になくなりました。
ほとんど、1時間程度で売り切れてしまいました。

私が作った分しか出せない事と、ティールームもありますので、ティールーム用のケーキは取っておいて、店内で召し上がるお客様にはそれ用にとっておいたケーキを召し上がって頂く状態でした。
オープン前にお客様が待っているという状態が半年ぐらい続きました。
1年半くらいは、ほとんどお休みが取れず、休みといってもケーキを作る日に充てました。

ひとりで作っていましたので、お菓子を作る日とお菓子を売る日を隔日でしたい思いでした。
そうでないと、ケーキやお菓子を並べられないと思いましたから‥‥。これって普通のお店じゃないですよね。
田中
シフォンケーキが中心の洋菓子店は今から8年前は少なかったと思うんですが。
鈴木氏
そうですね。シフォンケーキ自体が喫茶店にあるケーキというイメージでしたね。
田中
シェリールさんのシフォンケーキがおいしかったから、半年間行列が続いたと思うんですが。
鈴木氏
新聞でも一度、幻のケーキと紹介されたんです。
準備が整っていないなかオープンしてしまった事は反省しなくてはいけないと思います。計算も出来てないし、少しづつ作って、お客様が増えたらその都度、スタッフも増やしていこうという考え方だったものですから、そういう意味では甘かったです。
私自体商売の経験がない中、オープンしているから、スタッフを一人入れる度に大丈夫かなって・・。
田中
お店の開店資金は貯められていたんですか。
鈴木氏
そんなになかったですね。東京には研修で行ってましたので、ウイークリーマンションに泊まったりと研修の為に使いきって、
あまり貯金はなかったです。
少しの貯金とあとは、借金で開店しました。

田中
今後お客様に、シフォンケーキもそうなんですけど、他に召し上がって頂きたいお菓子とかありますか?
鈴木氏
そうですね。シフォンの季節物とか、もう少し考えたいなって思います。
いろんな味に染まりやすいシフォンは幅広い表現ができる生地なんですが、まだ開発中でデビューできてないものがいつくかあります。
焼菓子もあれも、これもしたいとい気持ちもあるんですが、なかなか製品化まで試作が出来てなくて難しいです。商品として出す時は100点になってから出したいですし。
田中
精力的に、チャレンジされていますから、なかなか時間もないでしょうね。
それでは、菓子職人にとって大切な事とは何ですか?
鈴木氏
そうですね楽しむことです。せっかくこの仕事に就いたのなら楽しまなくちゃいけないですよね。
田中
鈴木シェフは、楽しみながらお仕事をされていますね。どんなに忙しくても、鈴木スタイルでされています。
是非これから菓子職人になりたい人にアドバイスをお願いします。

鈴木氏
人それぞれ得意分野とかは違うと思うので、自分が想像できる範囲で出来ることを一歩一歩、目標に向って進んでいって欲しいと思います。
たとえば、ケーキの上にイラストを描くとか絵が得意な人はもう少し頑張ってみたりとか。
私はパティシエになろうと考えた時、いろいろ見て回って自分はどんなお店をしたいかと具体的にイメージし、ケーキを見て回ったりそれがテレビチャンピオンに繋がったんですけど、あといろんな本を見たり、興味を持つケーキを食べたりとかして、自分が好きなケーキはコレっていうものとか自分で勉強しないとそれぞれの得意分野とか自分では分からないと思います。

ケーキ屋さんはこれしかないって決めないで、特に女性だったらケーキ店に勤めるだけでなく、家で教室をしたりカフェに卸したりと、いろんな仕事の仕方もあると思います。
田中
本日はありがとうございました。
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