田中
本日はよろしくお願します。
まずは、生年月日と出身地をお願いします。
松本氏
生年月日は昭和31年2月19日生まれで、
出身地は長崎県大村市です。
田中
パティシエを志したのは何歳の頃でしょうか。
松本氏
23歳です。年齢的には遅かったですね。
始めは東京のスタジオでテレビ番組や映画の大道具の仕事をしていましたが、母が亡くなり、東京から故郷の大村に帰ってきました。
シェフ
大村で仕事があるわけでもないですから、何か手に職をつけないといけないと思い、福岡に出て知り合いから紹介してもらったのが
赤い風船というケーキ屋さんでした。
ケーキ屋自体良く分からなかったのですが、紹介されたので入ったという感じでしたね。
田中
パティシエの修業はそこが最初だったのですか?
松本氏
はい、赤い風船でした。それから全日空ホテルに移り、
その後は現在、長崎の佐世保市でジェヌインという洋菓子店を経営されている尾形シェフの所で修行させていただきました。
尾形シェフは、私が師匠と慕っている方です。
当時私は、いきなり店に行って「入れて下さい」と言ったんですけど、今は募集していないからと断られたんですが、
「何でもさせていただきます」と無理やり押しかけました。お店には、半年間いましたけど、お菓子のレシピのほとんどを教えて頂きました。
田中
尊敬する方から色んな事を教えていただけること自体財産ですね。
ご自分で店を出そうと決心されたのは幾つの時でした?
松本氏
赤い風船に入って、しばらくしてからですから23歳の時です。
ケーキ屋に入社してケーキ屋って素晴らしいなと思ったんですね。店を出したいって夢を描いたんです。
実際に自分のお店を出したのは31歳の時です。
田中
今までは2店舗あって今回 新規移転されて、1店舗にされましたが、この場所に決められたのは?
松本氏
店の隣に如意輪寺というお寺さんがあるんです。
通称カエル寺って有名ですけどね。私は創業からずーっと、このお寺のご住職にお払いをしていただいてました。
だから、このお寺の近くに店を出したいというのが、以前からあったんです。
それで、如意輪寺の隣に条件にぴったりの土地があったもんですから、これは何かの縁だと思いました。
田中
お店の名前の「レーブ・ド・ベベ」の由来は。
松本氏
私が、全日空ホテルの頃に、上司から「パフェフェアーをするから何かアイデアを考えてくれ」と言われ、パフェが掲載されている本を見てたらですね、かわいいパフェがありまして、全部フルーツもアイスクリームも、花や動物などの色んな形にくりぬいてあるんです。そのパフェの名前がレーヴ・ド・ベベだったんです。
子どもの夢という意味ですが・・・その店名が、自分の思い描いていたお菓子屋さんのイメージとぴた〜っと合ったんです。

子供の夢という意味もありますが、「皆さんも子供のころから夢を持ってましたよね。
そういう夢を見るという気持ちを無くさないでくださいね」という想いをお客様に感じていただくケーキ屋さんになろうと
いう私自身の想いも込めています。
田中
新規移転されたお店は、森の中に建っているお菓子の家って感じですね。レーブドベベさんはオープンされて何年になりますか?
松本氏
創業は20年前、1987年です。
田中
オープン当時のお話をお願いします。
松本氏
オープン当時は、毎日2万7千円売れたら家族で食っていけるかな〜って計算してました。
でも最初は、売上げが上がらんかったんですね。1日にお客様が10人とか、売上が2万円きったりとか・・・こりゃあ厳しいな〜どうすりゃいいんやろと・・・色々苦労はありましたね。

一人で作っていましたから、なかなかはかどらない、夜中も作るしかない。
もう眠くて、眠くて・・・体力との戦いでしたね。気力があっても眠くなるんです。冬場なんかオーブンの前でよく寝てました。
田中
その時はお一人で、すべてされてたんですか?
松本氏
そうです。女房が売場に出る時は、私の父が洗い物を手伝ってくれました。
感謝ですね〜。父には・・・。ある朝、日ごろの疲れがたまっていて寝坊して店に行ったら父がシュークリームを焼きよるわけですよ。
「おまえがするごとして焼いてみたら焼けたぞ。これは俺にさせんかって」言うわけですよ。
私が、シュークリーム焼いているのを見てたんでしょうね。失敗もあったんでしょうが、うまく焼けてたんです。
それからシュークリームのコツを教えたんですが、すぐにやれてしまうんです。

本当に器用な父です。それから18年間ずっと夜中にシュークリームを作ってくれましたね。
オープンして3年目くらいでしょうか「探検九州」という番組があって、うちの店の抹茶のシュークリームを放映していただいたんですが、それがキッカケで爆発的に売れ始めましてね。放送後、「出演おめでとうございます!」ってお祝いファクスをたくさん送っていただきました。
近所の人が「あんた出てたね〜!」、「俺らの街のケーキ屋がでとるばい!」、「あーあのご主人さんが出とったばいって!」って多くのお客様に来ていただきました。
田中
テレビの影響は凄いですね。
松本氏
九州全土流れるわけです。
電話で「送ってくれ」とのお問い合せが多かったのですが、「申し訳ありません。シュークリームは生ものですから送ることできません」と恐縮してお話すると、遠くからわざわざ買いに来られました。ありがたかったですね。

それからシュークリームが有名になりまして、毎日、多い時は1,500個、その頃100円でしたから。
15万ですよね。当時1日に2、3万から、いきなり売上が増えてきたんです。
父だけじゃ間に合わんもんだから、みんなで手伝うんですが、 そしたら今度は、全員がシュークリームにかかりっきりになってしまってショーケースの中が空っぽの状態になるわけです。
それ見たら「うわぁーっ、楽しくな〜い。お客様にも申し訳ない」って思ったんですよ。他のお菓子が作れんから。
これじゃいかんと思いシュークリームを父だけで作れる量にしたんです。でも、今でもうちの主力はシュークリームです。

父がそうやって夜中にずーっと作ってくれたから、「シュークリームの美味しいお店」になれたんです。
宝じいちゃんですよ。
田中
お父様の生き甲斐みたいなものですよね。
松本氏
そうですね、若い子たちが多いから。本人も元気が出るんですよ。

文字

田中
お菓子作りの想いやこだわりとかを聞かせてください。

松本氏
私は、お菓子を含め料理全般に言えるのは、「愛情」です。
最初の仕込みにしてもそう、最終的な仕上げにしてもそう、作る時もですね。
例えば注文の伝票、そこに生クリーム5号サイズフルーツ盛りのデコレーションと書いてある。
だからこの伝票だけ見てやると作業になるんです。
伝票のメッセージ欄を見ると、「あ〜瞳ちゃん、3歳なんだ」と・・・これを見ただけで瞳ちゃん3歳、どんな子かなぁって思い浮かびますよね。
それで、ちょっこっとでも、3歳のひとみちゃんが喜びそうな、飾りになってきます。
ちょっとした事なんですが。
瞳さん、25歳、ハッピーバースデイって書いてある。
25歳の瞳さん、どんな方かなぁ、お菓子好きなのかなぁ、どんなのお好きなのかなぁ、ちょっと大人っぽく飾ってみようかなぁっていう飾りになってくるわけです。
こう、左右対称じゃない造形的なものにしたり、チョコレートとかも飾って、とかね。

ちょっと、大人っぽく飾ろうかなってって、そういう相手を思う世界が愛情を込めるってことだと思うんですよ。
心を込めなさいよってのはそういうことですね。相手に喜んでいただきたいという気持ちですね。
根本はなんかって、人を好きになることだと思うんです。そうしたら、その人から好きになってもらえる。
やっぱね、世の中のひとつの法則の中に、与えたものしか返ってこないってのは本当その通りですよ。
田中
気持ちを込めるって大切ですね。
松本氏
私は、長崎県の大村にある電気も通ってない小さな島で育ちました。
田中
今では考えられないですね。
松本氏
そうですが、昭和30年代はそういう時代でしたね。電気がないからテレビも観たことなかったんです。
ある時 島の子どもたちのそんな様子が、ニュ−スで取り上げられたのです。
日本中から絵はがきや本、手紙などが送られてきました。その中にバッテリ−で映るテレビを送って下さった方がいました。
そして、毎年クリスマスの日にデコレ−ションケ−キを贈って下さる人がいました。
どちらも匿名のため、「テレビのおじさん」、「ケ−キのおじさん」と呼んでいました。
田中
その方は分かったんですか?
松本氏
ええ、10年後にその親切な人を捜し出すことが出来ました。
その人は長崎県営バスの運転手さんでした。
ケ−キもその方が贈って下さっていたことが分かりました。
子供が好きな愛情深い人です。できませんよね長年に渡ってクリスマスケーキを贈り続けるなんて。
私たち島の子供は、年に1回のそのクリスマスケ−キが本当に楽しみで、あの時のケ−キのおいしさは、今も忘れることが出来ません。だから私は、人と人のつながりや気持ちを大切にしたいと常に思っています。まず人を好きになろうって思いますね。
今、私はお菓子職人となって、毎日お菓子を焼き続けていますが、あの子供の時の感動が、心の奥底にずっと生き続けています。
田中
暖かいお話ですね。
菓子職人にとって大切な事は何でしょうか?
松本氏
感謝です。ありがとうと感謝。だって、命があったものでしか作れないですよお菓子は。苺も命あるんです。
切り刻む時にも「ありがとう」って、お菓子の材料だからって何も考えずにバサーッと切る事は出来ませんよ。
やっている事は同じでも心を込める事と気持ちを入れないとだめだと思うんですね。
シュークリームの生地が250度の中に入ります。「熱かろー」って、「がんばってなー」って、そんな気持ちになったらお菓子と友達になれる。
田中
これから菓子職人になりたいと思っている方に何かアドバイスがあれば。
松本氏
そうですね。やったもん勝ち。店に入ったら、やらんと誰も教えませんし学校じゃありませんからね。
とにかく3年間から5年間、無我夢中でやったときにお菓子作りの基本はだいたい同じレベルになれます。それを徹底してやったもんがね、最終的には菓子職人になってお店を持てると思うんですよ。

だから「目的をしっかりもちなさいよって!」言いたいですね。そしたらね、間違いないです。 描いた夢は必ず手に入ります。
そのことを信用できるかどうかですね。 ただ、夢描いても何をするかが大事になってきます。

今与えられた環境の中で、どれだけめいいっぱい不平不満を言わずにやれるかどうか。これがやれたら、ひとつ次のステップに上がれます。
自分でしっかり準備をしていって先輩から「コレやってみろ」って言われた時に「待ってましたー」って!
やれないと仕事させてもらえないんです。
もう全て何事も喜んでやる人間にしかチャンスは巡ってこないみたいです。
田中
本日はありがとうございました。
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