田中
本日はよろしくお願します。
まずは、生年月日と出身地をお願いします。
また、子供の頃はどんな事に熱中していましたか?
森永氏
昭和43年12月13日生まれ鹿児島県です。
小学校の頃は枕崎に住んでいたので、遊ぶ所といったら海しかないので釣りばかりして、それと小学校の頃から中学校まで町の道場で空手をやっていました。
田中
森永シェフは料理の世界からお菓子の世界には入られたんですよね?
森永氏
そうです。ずっと料理ですね。
中学校を卒業して、その2日後には、寮生活で鹿児島市内のホテルに就職しました。
フランス料理で、15歳から入って、28歳までずっとフレンチを勉強していました。
田中
では、お菓子と出会ったのは?
森永氏
鹿児島市内にあったレストランで働いている時に、デザートとして出していたのがフランス菓子で、全国的に有名なパティシエのレシピデザートで、その繊細で、美しいフランス菓子に強い衝撃を受けたんです。
フレンチでは料理がメインになるわけで、どうしてもデザートは料理の一部で、やっぱりお菓子屋さんのデザートと料理人のデザートは違っていて、お菓子屋さんのデザートは種類とかの豊富さも違うし、料理人ではそこまで知らなくてもいいだろうというのもあり、それがちょっと気になっていました。
どうせやるんだったらデザートまで極めたいという想いがどこかにあったんです。
ただ料理をしながらだと時間とかも限られていたので、それだったらどっぷりつかってみるしかないのかなとは思ってはいたんです。
レストランに入ってから、初めて「料理とはこういうものだ」というのを見れた感じで、「こだわる」という事の本当の意味を勉強できたと思います。
田中
それは料理にしてもお菓子にしても。
森永氏
はい、もうとことんという感じで、それに、その時のスタッフが自分と同じ年代の人達で若い人ばかりだったんです。
だから逆にちょっと、みんなで競い合うところもあって。
一応デザートとしてのお菓子もしますが、もうほとんどした事ないと言ってもいいぐらいです。
その当時、東京の三田に有名なレストランがあって、そこのオーナー、当時はシェフだったんですが、その方がフランスで初めて短期間で三ツ星をフランス人シェフと2人で取ったという事で有名になっていて、その方の料理の考え方に自分たちもすごく影響されて、一時期、出たい時期もあり25歳の時にレストランを辞めて悶々としている中でそのシェフに会いに行ったんです。
もう全国からそこで働きたいという人がいて、とにかく給料はいらないからとか。
でも会ってみると普通の人だったんです。
本とかで顔を見ていた人だったんですが、3時間くらいお話をさせて頂いて「無理して今の時代、出て来なくてもいいかもしれない」と言われたんです。
フランスにも行きたいと言ったんですけど、昔は情報がなくて修業が当たり前でしたが、10人行って8人は、たぶん潰れて帰ってくるというお話で、ノイローゼになって帰ってくる人もいるし、人間関係が一番見えない部分が大変だったらしくて、それよりも今の時代だったらいろいろ修業はこっちでやって、旅行で見に行くとか料理を食べに行くとか、そういう形でも全然良いんじゃないかと言われたんです。
その頃、自分も料理は数年やっていて、いろいろ話していくうちに自分の気持ち次第なのかと思いました。
それで鹿児島の「ホテル」に料理のヘルプで25歳から28歳まで入っていたんです。
田中
その時には、まだお菓子はやろうとは思われなかったんですか?
森永氏
まだお菓子はやろうと思っていなくて、フレンチで行きたいと思っていました。
でも、心の隅にお菓子の事も考えないわけではありませんでした。
もともと「ライムライト」というお店は鹿児島のレストランのオーナーが開いた店なんです。
ケーキ屋として開業し、その時にそこのレストランでシェフだった方が「ライムライト」の立ち上げをやると、それで、自分も手伝いに行っているうちに良いきっかけだからと半年ほどして28歳の時に「ライムライト」に入ったわけです。
その時には、そのレストランはフレンチを閉めてしまったんです。
オーナーは店舗を数店されている方で、他にも「コーヒー専門店」をされていました。
田中
では半年して「ライムライト」に入られたのは、どういう気持ちの変化だったんですか?
森永氏
自分としてはお菓子屋の繋がりは全然なかったので、お菓子屋さんに入る事に戸惑いもあったんですが、そこは知っているシェフやオーナーだったので、チャンスかなと思いました。自分もしばらく3年間はやってみようと思ったんです。
お菓子専門店でやっておけば、もしレストランに戻っても、最後のデザートが武器になるかなと思って入ったんですけど、もういつの間にかどっぷりはまってしまいました。
田中
では他店でお菓子を勉強されたりとかは?また、森永シェフがオーナーになったいきさつは?
森永氏
他店でお菓子を習ったりとかは一切ないですね。
前のシェフが立ち上げだけだったので1年くらいで辞められて、自分がそのままの流れで、挑戦してみたい想いもありまして、タイミング的にもやってみようと思いました。
2年弱くらいシェフとしてやった後にそこのオーナーから「もうお前がしてみないか」と言われたんです。
ずいぶん悩んだんですけど、結局挑戦してみました。
田中
オーナーとして「ライムライト」を引き継がれるわけですね。それは前の店舗ですか?
森永氏
ここのすぐ隣です。
そこで10年間させて頂いて、移転するわけですが、現在ライムライトがある場所は、前コンビニだったんです。
それでよく利用していたんですが店長からコンビニがなくなると言う話を聞いて、前の店舗には駐車場がなかったので、ここにお店を出す事にしました。
移転オープンしたのが、2007年の8月3日です。
田中
前の店舗でオーナーになられた時は、何人で営業されていたんですか?
また、洋菓子店として始められてどうでした?
森永氏
製造が2人、販売がバイト2人でした。
その頃は本当にお菓子屋の経験がない中で、何もわからなくて、ロールケーキも出した事なかったし、お客様からもいろんな声を頂いて、お菓子屋だったらロールケーキだと知って、それからロールケーキを出したり、少しずつアイテムを増やして行きました。
ただ料理人として、原材料だけは良い物を使っていこうという「こだわり」だけは考えていました。
当初はめちゃくちゃ売り上げが悪かったんです。
やはりフレンチを目指していたので、一般的なお菓子は作りたくなかったんですね。
純フランス菓子を作りたくて、そういうものを並べていました。
オープンの時にはお客様に来て頂いて、その後、ほとんどのお客様に引かれてしまって残ったお客様が、病院の先生や、大学の教授、そういう方のみになって、住宅街にあるにも関わらず、一番来て欲しい主婦のお客様がまったく来て頂けなくなりました。
お酒を使ったりとか、上品過ぎるという声が多々あって、その中でも「美味しいけど高いよね」という声が多くて、前の店舗での10年間は、本当にいろんな意味で勉強をさせて頂きました。自分では良い修業が出来たと思います。
田中
お客様に来て頂けるようになったきっかけは?
森永氏
昔は「ケーキハウスライムライト」という事で、オープンして3年間は厳しくて、その頃ケーキは1個250円が基本だったらしいんです。そういうお菓子に詳しい方に「1000円で4個買えないとお客さんは来ないよ」と言われたんです。
だけどうちはちょっと無理で、その頃1個300円とか350円で、こんなの売れるはずがないとずっと言われていたんです。
自分としては原材料もかかるし、なんとか分かってもらえればと思って続けていました。
そうしたら3年〜4年後に「スイーツブーム」で、それからお客様に来て頂くようになりました。
それまでの3年間が本当に厳しくて、チラシを出すお金もなく、スタッフと手描きのチラシをコピーして、仕事が終わってから配ったりとかしていました。
お店を引き継ぐ時にも周りからは反対されました。
せっかく10何年料理人をやってきて、ホテルの料理長などの話も来ていた時に、あえてケーキ屋という事だったので「お前はバカか、もったいない」って言われていました。
でも自分の事だし、後からどうのこうの思うのも嫌でしたし、今でも鹿児島のフレンチのオーナーや、シェフのグループがあるんですが、そこにも呼んで頂いたりして、その中で菓子屋って自分だけですけどね。
その頃の方たちからすれば「お前ケーキ作れたのか」って言われるし、逆に今のスタッフに言ったら「えっ料理作れるんですか」と言われて若干微妙なんですよね。
田中
他所とのお菓子屋さんとの交流とかはなかったんですか?
森永氏
最初はまったくなしです。
ただ「お菓子屋をした事がない者がお菓子屋が出来るはずないだろう」という声は間接的にいろいろ耳に入っては来ていました。
それで、自分がどこまで頑張れるかと切り替えて、それから3年くらいしてからお菓子屋さんが買いに来るようになったんです。
その時は会話はなかったですが、それから少しずつ、話せるようになって、今ではほとんどのお菓子屋さんとお付き合いさせて頂いています。
ここを2007年にオープンした時にも、7店舗くらいのオーナーさんがヘルプに入って下さって、本当に助かりました。
業者さんからも「すごいメンバーですね!」と言われたんです。
田中
ではオープンされてトータルで何年になりますか。
また、ロゴを一新された理由は?
森永氏
2008年で12年です。
やはり前のお店は引継ぎだったので、自分のスタイルとは違って、引き継いだ時に変えれば良かったんですけど、まったくお金がなくて、本当は移店した時に名前も変えようと思いましたが、お客様にも覚えて頂いていたので、名前はそのままで、せめてロゴを変えて一新しようと思いました。
田中
菓子職人にとって大切な事とは。
森永氏
いろんなものに対して「好奇心」を持っていたい。食わず嫌いをしない。
「これってどうせアレでしょう」みたいな事はしたくない。
「どうせ」とか、じゃなくてまずぶつかってみたり、入ってみたり、それから判断する。
自分のキャパを広げていく意味でも、ふとした時にその情報が出てくる時が必ずありますから。
それは仕事も遊びでも同じです。
田中
これから菓子職人になろうとしている人にアドバイスを。
森永氏
やるなら一生続けてもらいたいと思います。
終わりのない仕事だと思うので、そこでまた好奇心が必要だと思います。
5年、10年経って、世界が分かって、ある程度の所に来たら、面白くなくなってきたりとかするかもしれないけど、その中で自分のモチベーションをいかに上げていくかが次に繋がると思うので、やり続けてほしい。
食べる事というのはお菓子に限らず大切な事だと思います。
田中
本日はありがとうございました。