田中
本日はよろしくお願します。
まずは、生年月日と出身地をお願いします。
小出氏
生年月日は1963年、福岡市南区長丘です。
田中
こどもの頃に熱中したことは?
小出氏
そうですね、とにかく身体を動かすことが好きな子どもでした。それで、剣道を小学校の2年生から高校卒業まで
習っていました。
剣道は精神面はもちろん、心技体と全てにおいて教わりましたから、こどもの頃あいさつだけは誰にも負けませんでした。
「こんにちは」「失礼しま〜す」とかですね。
わんぱくで活発な子どもだったような・・自分ではあまり分かりません。
田中
それではパティシエを志したのは何歳の頃でしょうか。また、きっかけはありますか?
小出氏
コイデの店は父が始めたお菓子屋だったもんですから、小さい時から父親の後ろ姿を見ていましたので、自然の成り行きかなって思いました。
でも、本格的に意識し始めたのは高校3年生の進路を決める時です。
田中
たとえば、高校生前までは何になりたいと思っていたんでしょうか?
小出氏
その前は、プロレスラーになりたかったです。
田中
プロレスラーですか。どうしてですか?
小出氏
名前の淳一は、当時の人気力士から頂戴したものらしく、私としてはプロレスラーかな・・グラン浜田や、アントニオ猪木、スタンハンセンとか好きでね。学校でもよくプロレスごっこをしていましたから。
技の掛け合いしたり、身体を鍛えていました。
田中
それがパティシエになろうと高校卒業の頃に思った訳ですね。それではパティシエの修業はどこでされたのでしょうか?
小出氏
最初は東京は銀座の「リプトン・ユア・ハイネス」です。次に神奈川湘南葉山の茶屋で修業しました。
その後、渡仏して、ニースにある父の知り合いのMOFの称号を持つシャルル・セバ氏のお店「パレ・ド・シュクレ」で、本場のフランス菓子の勉強をさせていただく事が出来ました。
田中
異国の地フランスでの苦労されたこととかありますか?
小出氏
苦労ですか・・それまでの高校の時の剣道部とかがめちゃくちゃ厳しかったので、
修業時代に厳しいと思ったことはあまりないですね。
たぶん厳しいことはあったんでしょうけど思い出せないです。
それよりも、カルチャーショックで店の技術を自分のものにしたいという気持ちの方が強かったです。
高校卒業して東京に行って、都会ですよね。いろんなものが珍しい、楽しい。フランスに行ったら行ったで珍しい、楽しいと。
フランス語は全然ですが、身振り手振りで気持ちは分かるものです。
すぐに友達が出来たのでそう苦労することもなく仕事を一生懸命にしてました。
田中
休みの日とかはどんなことをしていましたか?
小出氏
休みの日には午前中は仕事をして、午後からセバ氏の家族と食事に行ったりとか、ドライブをしたりとか、大体セバ氏の家族と過ごす時間が多かったです。今でも、セバ氏とのつき合いをさせていただいています。
そのフランス時代が今も私の財産ですね。
田中
小出シェフは2代目ですけど、先代の時代からオープンされて、創業何年目ですか?
小出氏
今年2008年で42年目になります。
田中
それでは、フランスから帰られてすぐ、お店に入られたのですか?
小出氏
そうですね。始めのうちは、意見の違いで喧嘩ばかりしていました。
自分が修業してきた所は有名店であったり、MOFの称号を持つフランスのお店で修業してきましたので 自分が正しいと錯覚していたんでしょうね。帰ってきたら、う〜ん、どうも田舎くさいと、そこでいろいろぶつかり合いはありました。
田中
コイデさんは創業以来洋菓子店として創業されたのでしょうか?
小出氏
そうですね。洋菓子専門店ですけど、たとえばマルボーロであるとか、カステラだとかは作っていました。
42年前はまだ、この辺は田んぼの中で洋菓子店自体なかったですね。団地はあったんですけど、まわりにいろんなお店が出来始めたころです。南区長丘は山と田んぼでした。
田中
先代のオープン当時の苦労されたこととかは何か聞かれていますか?
小出氏
父と母がコイデをオープンしてクリスマスの前、12月に入って隣が火事になり、巻き込まれてお店が半焼してしまったんです。
私が3歳の頃です。クリスマス前は一番の繁忙期ですよね。焼け出されてお店の営業も出来なくて、小さなアパートに引っ越して、それから1年後にお店を再開しました。その1年間は大変だったでしょうね。お先真っ暗です。よく憶えていますよ。
田中
42年間変わらない「レモンパイ」のことをお聞かせ下さい。
小出氏
「レモンパイ」ですが、42年間変わりません。
今では、親子三代でお買い求めいただいているお客様もいらっしゃいます。
よく見る光景ですけど、お正月とか、お盆とかおばあちゃんとお母さんとお孫さんが連れたって 一緒に来られて、「あ〜このレモンパイはねおばあちゃんがおっぱいが出らん時に、あんたのお母さんに食べさせたもんね」とか、このレモンパイがうちの家内が好きやったとかそう言う思い出話をされることが多いですね。
だから、300円で値段を上げずに頑張っていますね。
作る私としても「レモンパイ」には想い出が深いお菓子です。
田中
「レモンパイ」はコイデの看板商品ですね。他にお客様に召し上がって頂きたいお菓子は?
小出氏
新しい素材で作る、新しい味のお菓子、今はバラのムースを出しています。
あと、フランスで学んできた古典的なフランスのお菓子とかそういったものを 召し上がっていただきたいですね。
先代と2代目のお菓子がここには並んでいます。
田中
現在、原材料の高騰で苦労されていることは、また、企業努力されていることは。
小出氏
そうですね。一切ムダを無くす。これは当たり前です。
一部商品の価格を見直したのも実際はありますが、しかしながら、マルボーロを80円でこれはバターなど使わない
砂糖、卵、粉です。
粉は値段が上がりますけどほぼ値段が原価額ぶれないですね。
こういう物を作って安く提供する。適性の値段で、うちはワンコインを持って買いに来る子どもさんもいますから、子どもたちが買えるようなおやつがだんだん無くなってきています。
そして、専門店のお店にひとりで買いに行けなくなってきている。敷居の高いお店が増えているから、うちは先代から地域密着のお店でありたいと思っているので、今後もそういうお店でありたいと思っています。
そういうことで、値段を上げたものもありますが、そうやって低価格でお求め易いものを作る。
提供する、喜んで頂きたいという思いでいますね。本当、今からが、お店として試されている時代と思います。
田中
それでは、菓子職人にとって大事なことは、また、これから菓子職人になりたいと思っている方に、何かアドバイスがあれば。
小出氏
パティシエになる動機や想いはそれぞれあると思いますが、基本はこの世界に入ってからです。
実際その中で仕事をしてみて分かることだと思います。 ほんとうに、何となくでも良いと思いますよ。
頑張りなさいと・・同じ世界です。どんな仕事も同じです。
先程、言ったように入ってからどれだけ自分を磨けるかですよ。
それがないと、営業でも成績が上がらないし、どんな仕事やっても続かないと思いますね。
菓子職人も同じです。店も同じ、ただ作ってお店に置いても売れないし、磨いていかないと。
そのための努力もしなくてはいけないし、だから根本的な根っこはみな同じではないでしょうか。
あとは、自分次第です。
そのためには志とか想いとかないといけないでしょうね。
別にお菓子の学校に行かなくてもいいと思います。
まずは、想いです。
田中
本日はありがとうございました。