田中
本日はよろしくお願します。
まずは、生年月日と出身地をお願いします。
また、子供の頃はどんな事に熱中していましたか?
山田氏
1970年、唐津市生まれです。
小学校の頃から高校まで部活はバスケットをして、それと併用し、中学から高校までバンドを組んで音楽活動をしていました。ティーンズミュージックの高校生のバンドの大会で九州大会に出場したり、その頃、将来は音楽の道で行きたいと思っていました。
また、その為にバンドのメンバーで大阪に行く事になり、メンバーは大阪で就職したんですけど、僕は料理やお菓子が好きという事もあり、また、親としてもお店をして欲しいと言われていたんで親に応える意味でも
シェフ
「大阪あべの辻製菓専門学校」に行きながらでもいいかなぁと思っていました。
大阪ではデモテープを持ちこんだりと売り込みもしました。
学校に行きながらでも、その頃は出来ればバンドをしたいと思う気持ちが大きかったんです。でも、プロって凄いですね。
僕らが行った頃は、今はメジャーになっているミュージシャンがまだアマチュアで出ていたんです。
ライブがめちゃくちゃ凄くて、ほんと、そのバンドを見て「全然プロは違うな」と思って・・それで、僕は早くにバンドじゃ飯は食えないと思って、僕はお菓子屋の道に進むとメンバーに伝えました。
それで、お菓子の道で”がっつり行こう”と決めたんです。
田中
それで就職をされるわけですね?
山田氏
今はシェフが引退されてそのお店はないんですが、神戸のフランス料理店で「ジャムーラン」というお店のパティシエ部門に就職しました。ここでの面接のエピソードですが「とにかく夏休みも、正月休みも要らないので秋の祭り、「唐津くんち」がある11月の2日・3日・4日だけは帰して欲しい」と言ったほどです。
うちの父が山のトップに居たんで、シェフを招待した程、「唐津くんち」は私たち家族にしても大事な祭りなんです。
それで、「ジャムーラン」での3年間は帰らせて頂きました。
その後、福岡に戻って「浄水浪漫」に3年間お世話になり、最後は「カカオロマンス」で5年間お世話になりました。
その後、2000年9月に「ガラ」をオープンしました。
田中
それぞれのお店での修業はどうでした?
山田氏
そうですね。「ジャムーラン」では料理の後に食べるデザート、別にお持ち帰り用のパティスリー部門のお店もありましたが、最初は”ギャルソン”をさせられるんです。接客ですね。厳しかったですね。
お菓子作りではお持ち帰りのケーキの配合と、その場で食べるケーキの配合は違いますので、どちらも最高の状態で食べて頂く為の作り方とか習いました。接客やデザート、お菓子全般に関して、大変勉強になりました。

その後、福岡に戻っていろんなお菓子屋さんを見て回ったんですが、福岡はレベルが高いなぁと思いました。
結構、特徴があって神戸の味とか福岡の味とか・・それでこのまま関西で修業すると、どうしても関西の味になってしまうんじゃないかという思いがあって、自分がお店を出すのを逆算してみると次の3年間は福岡か、少なくとも九州に帰ったほうがいいんじゃないかと思いました。
福岡はお菓子屋さんも少しずつ増えて元気がある街でしたね。

結局、「浄水浪漫」に経験者で入れて頂きお世話になりました。ここでは、お菓子全般をやらせて頂き3年間お世話になりました。
その後、「カカオロマンス」に、ここではチョコレートやチョコレートケーキを中心に勉強させて頂きました。
カカオロマンスは浄水浪漫と姉妹店なので、チーフが抜けられたので、チーフとして入り、お菓子を作る事はもちろん、スタッフの管理全般をやらせて頂きました。
これが今、お店の経営をすることに関して凄く勉強になりました。

文字

田中
それで独立をされる訳ですが、オープンはこの場所に出そうと?
山田氏
この場所にお店を出すのが目標でもあったし、でも人間、欲が出てくるもので、福岡で勝負したいという気持ちもあったんですね。
その頃、チーフとかの話もあり、引き抜きの話も来るもんで、その魅力もありました。
福岡はパワーがあって良かったですね。

30歳になり、その当時、父が病気になり、余命を言われたんです。父は僕がお菓子屋さんをやるのが夢だったんで、その想いを叶えて上げたいと、それで、この場所にお店を出すことを決めたんです。
田中
お店の名前を「ガラ」にしたのは?
また、オープン当時は何名でされていたんですか。
山田氏
「ガラ」はフランス語で「祝祭・お祭り」という意味です。祭り好きの私のこだわりです。
唐津でも有名な秋のお祭り「唐津くんち」にちなんで、フランス語の「祝祭・gala」としました。
オープン当初は、製造が3名でその中の子が「カカオロマンス」の子で1ヶ月間手伝ってくれました。販売員も入れて5名でのスタートでした。
田中
オープン当初はどうでしたか?
山田氏
お陰さまで、順調なスタートでした。1ヵ月くらい徹夜続きで6キロ痩せました。唐津の人ってあたらし物好きなんですね。
最初はどっと来る感じで、シュークリームがめちゃくちゃ売れました。
それと、田舎ではタルトが売れないという事を聞いていたんですが、うちではタルトもよく売れました。

田中
お店独自のイベントはありますか?
山田氏
うちでは年に1度、9月の創業祭の時にタルトフェアをやるんです。
それはオープン1年目からやっていて毎年、倍とか数が増えるんですけど、それが定着しているのか分からないですけど、バースディケーキも注文の半分くらいがタルトなんですよ。「何かのタルトにして下さい」とか、そう言うのがいいですね。
すごくいい事です。
田中
菓子職人にとって大切な事とはなんですか?
山田氏
仕事だけじゃなく、オシャレだったり、自分が持っているものだったり、少しこだわりがあればそれが仕事に反映するんじゃないかと思いますね。
東京のお菓子屋の本とかを見るとすごく個性豊かで彼らがブランドを作って、こだわりがありますよね。自分のオリジナリティ、自分の作りたいもの、自分のカラーとかをもっと出すには私生活から周りを見たり、モチベーションを持ったり、売れなければそれでもいいんじゃないかなって思います。
田中
これから菓子職人になりたいと思っている人にアドバイスを。
山田氏
とりあえず、パティシエになろうと思った時から3年間は、どんなことがあっても頑張ってみたら、きっとその3年後には道が開けているんじゃないかと思います。
田中
本日はありがとうございました。
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