田中
本日はよろしくお願します。
まずは、生年月日と出身地をお願いします。
また、子供の頃はどんな事に熱中していましたか?
山田氏
昭和34年2月6日、生まれも育ちも福岡市中央区
大手門です。
小学校の頃から勉強より野球ばかりで、
中学ではバスケットと柔道をしていました。
高校になり野球部に入部して本格的に硬式の野球を
始めました。
高校を卒業し、自分の力を試してみたくてクラウンライターライオンズ(以前の西鉄ライオンズ)の入団テストを受けましたが力及ばずでしたね。
シェフ
一応大学には1年間行きましたが、もともと勉強が好きではなく、サラリーマンにもなりたくなかったですし、それで何をやるかと途方に暮れていた時期があって、出来る事といったらうちの仕事しかなかったんで、親父の仕事を手伝いながら3〜4年間、実家の仕事を手伝い、主にカステラを焼いていました。
和菓子自体があまり売れていなくて、その当時と言うのは洋菓子の専門店が出だした頃で、ちょうど和菓子と洋菓子の転換期のそういった時期でもありました。
それで自分もどうせやるんだったら洋菓子の方が良いと思ってそれから修業に行きました。
田中
お父様の反対はなかったのでしょうか?また、洋菓子屋さんでの修業はどうされたんですか?
山田氏
親父とも話し合ってそういう考えを持っていましたので賛成してくれました。
和菓子の時から付き合いがあった業者の社長さんの紹介で、熊本の「ブローニュの森」で5年間ほどお世話になりました。
その後は、「ブローニュの森」を辞めると決まっていた時に、東京の方で師匠の知人の方がお店をオープンするからという事で誘われたんですが、親父から連絡をもらい、半ば強引に実家に帰るように言われたんです。
私が実家に帰って来た時に商品を和菓子から洋菓子に代え洋菓子専門店としてスタートしました。
田中
修業時代はどうでした?
山田氏
洋菓子に関してはまったくの素人だったんで、確かに親父とやっていた時にも少しは、
もう簡単なケーキとかシュークリームはやっていたんです。
それで、最初「ブローニュの森」に面接に行った時に社長から「うちは仕事が遅いもんね」と言われて、実際行ったら本当でした。
「うわ〜えらい所に来たなって」思いました。
実家で仕事していた時には完全に夕方には仕事が終わって、一般家庭と同じように晩飯も食べてたし、
こちらでは晩飯も仕事が終わってでしょう。それに慣れるのが大変だったですね。
僕が行ったのは2月の下旬だったんですが、その年の夏に、また新しく2号店を開店する事になって、
その期間がまたすごく忙しかったですね。

文字

田中
和菓子屋さんの時の屋号は?また、エトワールドールの名前の由来は?
山田氏
和菓子屋の時は「銀月堂」です。これを改名するのは親父も了解していました。
「エトワールドール」の意味はフランス語で「金の星」なんです。和菓子屋の時は「銀の月」で銀から金になり月から星になりました。
田中
エトワールドールさんとしてオープンされたのは何年ですか?
また、洋菓子店としてのスタートはどうでした?
山田氏
エトワールドールとしては1986年創業ですね。
それから、1999年に前のビルが老朽化していたのでビル自体を新しくしました。
オープン当時は案の定苦労しました。売れない。というか洋菓子屋としてスタートしたんですかど、オープンした当時というのはまだ、銀月堂と思って来られるお客様が結構いらっしゃったんですね。カステラを買いにきたりとか。
それで、帰られるお客さんも居たんです。
「申し訳ございません、洋菓子専門店に変わりました」と「そうね」と言って帰られるわけです。
田中
その当時メインになる商品はあったんですか?
山田氏
いや、メインになる商品は特別作ってなかったんです。
ロールケーキも作ってなかったし、カステラを作るわけにもいかないし、
だからそういったお客様の為にロールケーキを始めたんです。
オープンして1年目位してからですね。
洋菓子でカステラに似たようなものと言えば、ロールケーキになるんで、それからぼちぼち売れ出しました。
最初はチョコロールしかやってなかったんですけど、抹茶をやりだした所、これは結構売れました。

当時はバタークリームで、その頃はロールケーキは福岡で他のお店では出していませんでしたし、個人店として当時、抹茶ロールケーキ自体出してなかったと思います。結構、関東の方からも発送依頼がありました。

田中
菓子職人にとって大切な事とは。
山田氏
心がないと駄目ですね。
お菓子が好きである事が第一です。
田中
これから菓子職人になろうとしている人にアドバイスを。
山田氏
先程も言いましたけど、お菓子が好きである事。
それと僕が新入社員によく言うのはプロの世界は学校とは違う、学校はあなた達がお金を払って平等に教えてもらうけど、プロの世界はあなた達が給料を頂いて教えてもらうので、それはまた平等とは違う。
本当にやる気のある人間じゃないと仕事というのは、教えてもらえない。
そんな甘いものではないんですね。
そこの所を勘違いしてもらったら困るとは言ってますね。
今の時代、私たちの頃みたいな修業の仕方だと付いてくる人は少数かも知れないです。
人材の確保は時代も変わればやり方も変わってくるんです。
その時のやり方で対応していくしかないのでしょうね。
田中
本日はありがとうございました。
戻る

Page Top