田中
本日はよろしくお願します。
まずは、生年月日と出身地をお願いします。
また、子供の頃はどんな事に熱中していましたか?
金子氏
1982年8月4日生まれ、出身は熊本県天草市です。
小学校の頃からスポーツが好きでした。
ちょうどJリーグが出来た頃だったんで、その影響もあり小学4年頃から中学まで部活でサッカーをしていました。

また、ここは自然豊かな所で、夏になると川や海で泳いだり、魚釣りをよくしていました。
もう、勉強より遊びで、とてもやんちゃな子供でした。
シェフ
田中
ご実家は何か商売をされていたんですか?
金子氏
戦後の頃からですが、祖父が天草でパン屋をやってまして、2代目の父がパンとケーキを販売し、お店の基礎を築いたんです。
だから、僕で3代目になりますね。
田中
初代はパン屋さんから始められたんですね。金子オーナーも子供の頃からお菓子屋になろうと思っていたんですか?
金子氏
子供の頃は、お菓子屋になろうと思っていたかもしれませんが、年齢と共にファッションに興味を持ち高校を卒業したら、とにかく東京に行きたい・・それだけでした。
だから、親には東京へ行く口実が必要だったんで、東京にある製菓の専門学校に入学したんです。
東京では洋服屋めぐりばかりしていたし将来はファッション関係の仕事にも就きたいと思っていたんです。
田中
それでは製菓学校を卒業されて、どうされたんですか?
金子氏
東京は1年間でしたけど、卒業の時期になると、そのままファッションの仕事をしたいと思う反面、せっかく親が製菓の学校まで行かせてくれた気持ちを考えたり、ましてや、父の期待を裏切ることになると思いファッション関係の仕事に就くことを断念し、気持ちの整理がつかないまま天草に帰ってきました。
田中
気持ちとしてはまだ、自分の将来の仕事に対して悩んでいたんですね。
それでは、お菓子屋になるきっかけは何だったんですか?
金子氏
天草に帰ってきたものの、なかなかお菓子屋になるきっかけがつかめず、家にはいたんですが悶々としていました。
小さい頃からお菓子がある環境で育ったので、それが普通だと思っていたんです。
だから、普通そのままお菓子屋になるのが当然みたいに考えますが、僕はファッション関係の仕事に就きたいと思っていたけど、そうはならなかった。それは、心の中ではお菓子に対する想いがあったものの、素直になれるきっかけを求めていたのかもしれません。

そんな時に、父が熊本の川尻に「ガトーアンリー」というお店があるんで、見てきたらと勧めたんです。
父から勧められるまま、ガトーアンリーさんに行きました。そして、お店に入った瞬間に背中がゾクッとしたんです。
お菓子を頂き、食べた瞬間に美味しくて正直、涙が出たんです。

それからですね。変わったのは、自分もこんなお菓子を作りたいと思ったんです。
21歳の頃でした。あの時は自分の中で何かが吹っ切れたという気持ちで、あの感覚は今でも忘れられません。
これが、僕がお菓子屋になろうと思ったきっかけだったんです。
田中
お菓子を食べて素直な気持ちが表れたんですね。そこから修業をはじめられる訳ですか?
金子氏
自分が目指す道も決まり、修業に行こうと思ってんですけど、うちにいたチーフが退社して、人手不足になり行けなくなってしまったんです。
だから実際、現在いるチーフの下で修業をしました。
それから熊本や福岡のいろんなケーキ屋さんを回ったり、講師の方に来て教えて頂いたりしました。
だからどこかに所属しての修業はしていないんです。

現在、本社を入れて3店舗あるんですが、昔、父がボングーの支店を初めて出したんですが、事情により、そのお店を閉める事になって、 ご近所にあいさつ回りをしている父の後姿を偶然見た時に、背中が小さく見えたんです。 そんな事もあり、改めて自分がしっかりしないといけないと思いました。

文字

田中
気持ちも前向きになり、勉強の中で技術を向上させていかれたんですね。
金子氏
修業はじめの頃は、講習会やお店などを見て回った時など衝撃をもらえる事でした。
帰りはへこんで帰り、それでまた店に戻って勉強をする、その繰り返しでした。
でも、これが僕にとってのステップアップでした。
とにかく、早く一人前になりたい・・自分でいうのもなんですが、この時期は無我夢中で勉強もしたし、積極的に講習会にも参加し頑張ったと思います。
今でもいろんなお店を見て回ったりしていますが、吸収できることがあれば参考にさせて頂いています。
田中
現在のこのお店は創業当時からあったんですか?
金子氏
父の代の時には、ここからすぐ近くですが、別の場所にあったんです。
この場所が広くて、ちょうど空いたんで移転しました。
移転をきっかけに、このお店を任せられるようになり、移転して2年目には改装したんです。
それは、構造上や使い勝手を考えての事で、他のお店も参考にしながらの改装でした。
田中
お店を任せられたプレッシャーはありましたか?
金子氏
任せられた時には、凄いプレッシャーがありました。
最初は何がなんだか分からず、ケーキを作っていればよかったんですが、任せられるようになってからは
商品作り、商品開発、人の問題や指導、お店のディスプレイ、経営面など・・。
オーナーになると当然ですが、何から何まで全て自分でやらなくちゃいけないですよね。
改装の時には、全て僕の自由にしてくれたんで、自分の思い通りのお店作りが出来たと思います。
父には本当に感謝しています。
また、熊本のケーキ屋さんにもいろいろ教えて頂き、回りにも支えて頂きリニューアル出来たと思っています。
田中
お店の名前「ボングー」は創業当時からですか?
また、「ボングー」の意味は?
金子氏
父の代になってから「ボングー」という名前にしたそうです。
意味はフランス語で「美味しいひと時」とか「楽しいひと時」とかという意味です。
田中
お店の創業は何年くらいになりますか?また、ボングー太田町店を任せられたのはいつ頃ですか?
金子氏
お店としての創業は33年くらいです。
また、このお店を任せられたのは2005年です。
自分のお店としてのスタートは改装してからなので2007年です。

うちはパンの卸とかもやっていたんで、地元のお客様はパンのイメージの方が強かったと思います。
僕がお店をする時は、父の理解もあり、自分の自由にしていいと言うことだったんで、商品の構成を全部見直したんです。
だから今は洋菓子の方がはるかに多いです。 父の時代からあるのは、チーズケーキとスポンジですね。

田中
商品開発はどのようにされているんですか?
金子氏
どこでもそうだと思いますが、試作はお店に出さなくてもやってみようと、自分の技術もありますが、製造面にしても、それに似合うイメージを出せるかというのもあるんで、とにかくやってみます。
試行錯誤しながら、形、味、食感とイメージしているものと違う事はあるので商品として出せるのは限られますね。
田中
菓子職人にとって大切な事は。
金子氏
今まで出会った人を大切にする。それと、人の話をよく聞く事だと思います。
僕はチャレンジという言葉が好きです。
チャレンジしなかったらそこで終わってしまうし、それは仕事でなくても勉強でも、遊びでも同じことだと思います。
チャレンジ、イコール向上心。これがあれば、ステップアップは出来ます。
趣味や、遊びの中でも、それぞれ仕事に通ずるものがあると思うし、僕の場合は、今でもファッションに興味があるので、その表現なりが仕事上で参考になる場合があります。
田中
これから菓子職人になろうとしている人にアドバイスをお願いします。
金子氏
まだ、自分自身がそこまでアドバイス出来るような経験も積んでないので、おこがましいのですが、よくうちのスタッフに言っていることは「元気」「挨拶」「笑顔」です。
あとは何に対しても、がむしゃらにやる事です。どれだけお菓子が好きになるか。
専門学校を卒業した若い子には、よく遊んだ方がいいよって言いますね。
仕事以外にも羽目をはずすんじゃなくて、いろんな事に興味を持ってアンテナを張り巡らせる。
それと、今いるスタッフを大切にする。いろんなところで情報が入ってくる。
これは大事にした方がいいですね。
最後に思うのは結局は自分自身が変わらないと、何も変わらないと思います。
田中
本日はありがとうございました。
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