ケーキハウスノリコ



吉野
生年月日とご出身地を教えてください。
長田氏
1963年1月4日、出身は神奈川県の横須賀です。
吉野
小学校の頃、好きだった科目とか教科とかありましたか?
長田氏
数学と理科あとは、体育です。技術も好きでした。
物を作るという事が好きでしたね。
吉野
子供の頃に熱中した事とか何かありますか?
長田氏
小学校の頃は野球ですね。中学と高校ではサッカーで、スポーツは好きだったですね。
シェフ
吉野
パティシエを志したきっかけはどういった事ですか?
長田氏
小学校5年の頃かなぁ・・・。
豪華客船のコックとして世界中を回ってみたいなという気持ちがあって料理人になりたいと思っていました。
ただ、中学の時にカニに当たっちゃって料理はちょっと無理かなという状況になってしまったんです。
でも諦めきれずに、大学に通っている頃にも、アレルギー専門の病院に行ったりしながら、出来るんであれば、調理の道に進みたいと思っていたんですが、大学卒業の段階でも改善しませんでした。
これでは仕事が出来ないなぁと思って、同じ食の分野として菓子職人になろうと決めたんです。
吉野
ご両親は大学に行って普通の会社に勤めて欲しいという希望はあったんでしょう?
長田氏
あったと思いますけど、僕の中では一般企業への就職活動は、していないですし、自分で店を持ちたいというのが夢でした。
吉野
大学を卒業されて具体的にはどうされたんですか?
長田氏
お菓子作りを学ぶために大阪あべの辻調理専門学校に行きながら、夏休みから「アンテノール」というお店でアルバイトで厨房に入らせてもらったんです。
辻調理専門学校に来ている人は、高校卒業している子たちばっかりで、僕は大学を出ているので年齢差も3つも4つも違うので、これでみんなと同じ事をやっていたら、これはとてもじゃないけど無理だろうと思って、現場に入って通用するものを身に付けたかったんです。
吉野
専門学校卒業されて、アンテノールに就職されたんですか?
長田氏
4月からはアンテノールに入るつもりだったんですけど、卒業する前の年の暮れに、父の体の具合が悪くなったんです。
その時、神奈川に帰らなければならなくなりまして、僕は長男なので、母から「すぐ来れる所にいてほしい」と言われたんです。
それで実際に就職したのは葉山の「フランス茶屋」です。
そこで3年半くらい居て、その後、アンテノールに戻ったんです。それから1年半くらい働きました。
吉野
フランス茶屋で苦労された事とか大変だった事とかありますか?
長田氏
苦労という気持ちはありません。好きで選んだ仕事ですし、趣味みたいなものですから。長い時間働くという事に対して苦痛もないですし、自分が仕事を覚えていける事が、喜びでしたからね。
フランス茶屋では主に生地の仕込みをやりました。アンテノールではケーキの仕上げをやっていました。
その後、「ケーキハウス ツマガリ」の津曲社長の所で働く事になったんです。
吉野
「ケーキハウス ツマガリ」には、何年おられたんですか?
長田氏
5年ちょっとですね。
最初の頃は、焼き物から始めて、半年後に津曲社長から「工場長としてやっていけ」と言われました。
工場長として通常の仕事もしながら、商品開発をやれと言われて、1週間に3商品試作しました。
新作は、簡単には出来ませんから、新しい素材を見つけて来て、これをどういう風に手を加えたら美味しい物が出来るかっていう事を毎日やってました。新しい食材に関心を持っておかないと新しいお菓子は生まれないですからね。
吉野
1週間に3商品というのは大変ですね。
長田氏
その時期は、社長にプレッシャーをかけられながらもやっていましたけど、僕の中では楽しみながら仕事をやっていました。
当時は、工場長の名刺があって、営業部長の名刺があって、商品開発室長っていう名刺があって、ジェネラルマネージャーという4枚の名刺を持って、その名刺を使い分けて仕事をしている状況でした。
吉野
4つの名刺ですか、多忙で大変でしたね。
長田氏
大変でしたけど、津曲社長から色んな事を教えていただいて、お店を経営する上で本当に良かったと思っています。
それに、お菓子作りの原点をみっちり叩き込んでいただきました。
吉野
お菓子作りの原点って、どんな事ですか?
長田氏
良い素材に尽きますね。
良い素材を使う事は、津曲社長から教えていただいた哲学です。
僕もそれはお菓子作りの原点として受け継いでいます。
先ほどの話なんですが、素材を見つけてきては新作の試作をするんですが、色んな材料を仕入れて試作しては食べての繰り返しですから、美味しくないものは当然出しません。美味しいお菓子の基本は、何と言っても質の良い素材です。クッキーひとつとっても自分たちが一生懸命こだわってやっている材料でやっていますし、他の店と食べ比べてみても勝負は出来ると思ってます。
吉野
横浜にお店を出されたのはどういうキッカケだったんですか?
長田氏
元々横須賀で生まれ育ってきたので、お店をやるなら横浜でやりたいと思っていました。
吉野
店の名前の由来っていうのは何ですか?
長田氏
いざ自分がお店をやろうという時に、パッと振り向いたら嫁さんがいるわけですよ。
また、自分でお店を持ったら、大きなお店にしようという思いは当時からあんまりなかったんです。
1店舗だけで自分の作りたいお菓子を作って、それを受け入れてくれる地域のお客様に来て頂ければいいという気持ちでした。
だから嫁さんの名前でいいのかなと思いました。
吉野
この場所に決められたのは?
長田氏
横浜で探している時に、ここに来て、最初にテナント募集と目に入った所が、ここだったんです。
駅から離れている場所にしたかったんです。駅前では百貨店で、店の存在が隠れてしまいます。
ましてや百貨店の渋滞が起こったら、お客様は車を停められません。僕が選んだこの場所は、その影響を受けないし、小学校や中学校がありますから周りの環境が変わらないし、変なお店は来ませんからね。
吉野
オープンは、いつですか?それと、オープン当初はどうでしたか?
長田氏
オープンしたのは、1997年です。その時にお手伝いに来てくれた人たち皆さんに迷惑をかけてしまったんです。
こんなにしんどいオープンは今までないしこれからもないだろうと言うくらいに皆にお叱りを受けました。お客様が多くて凄かったんです。オープン2日間でトータル、3、300名のお客様に来て頂きました。
吉野
そうなんですか。今まで津曲社長の店で学んできた事を現在の店で全て投入していますか?
長田氏
自分がやってきた事を全てやろうと思ったら無理です。
2年くらいまでは津曲社長の所で学んだ物を商品としてお店にも出していましたけど、その後はもう自分でオリジナルとして考えたものを投入しています。
でもね、良い素材を使うお菓子作りの原点は守り続けています。
良い材料を使うとなると材料費は、やっぱりすごく高くなります。基本的には、たかが菓子屋の親父ですから、今までお金持った事のない人間が、お金持ってても、ろくな事に使わないです。
だから、どんどん良い材料とかにつぎ込んでいきます。菓子屋である以上、原材料にしっかりお金を使う、それが直接お客様のお口に入るわけですから。次に、良い物を作るための機械や設備を入れるという考え方です。
吉野
そこが菓子職人としての長田オーナーのお店をやっていくスタンダードな考え方なんですね。

文字

長田氏
店の中身を追っかけないといけないと思うんです。うちら食べ物屋はね、形やら建物やらそういうものに執着する事よりも、お菓子が新鮮で美味しいという部分でお店のファンが増える方がいいですからね。
吉野
店の中身を改善できる点があるということですね。
長田氏
売れないのを店舗の立地場所や地域のせいにしたりするよりも、もっとやるべき事はあるんじゃないかなと思います。
まずそこに目を向けないのに、自分の店の悪い所を言い訳をしても何にもならないんです。
この場所だとどうすれば成功出来るか、という発想から始めないとダメだと思うんです。

悪条件のお店ってのは、来てもらうまでは時間がかかるかもしれませんけど、一度来てもらうと印象に残るわけです。
だから悪条件が悪いわけではないんです。悪条件というのは裏を返せば印象に残るお店になるわけです。
僕だって自分の用意出来る範囲の中で頑張って探したのがこの店なわけです。
やっぱりそういう意味では、自分の身の丈に合った店をどれだけ工夫しながらやっていくかですね。
自分が選んで自分がこうやっていこうと、決めたからには、人頼みではだめですね。覚悟が大事です。
吉野
やはり、店のある地域が基本ですよね。
長田氏
うちの店もそんなに立地的に良い場所ではないんです。店の駐車場は少し歩いてもらわないといけない所ですし、人通りは少ないし。でも、オープン以来売り上げで困ったということはありません。
それにうちの奥さんが「あなたはここでやっているから成功しているのよ、どっかに色々支店とか出しちゃダメよ」と言うんです。
ご近所の人たちがみんな応援して下さっているので、この地域の方々のおかげで僕たちもあるのでそれを基本にしています。
吉野
やはり、お客様に喜んでいただきたいというのが基本ですよね。
長田氏
はい。うちではデコレーションケーキを作り立てでお渡しするという事をしています。
ですからホールケーキは、ショーケースには置いていません。注文をいただいてからお作りします。
ご予約をいただいてお越しになる時間を見計らって作るんです。また、どうしてもすぐに欲しいと言われるお客様には、10分程度待っていただいて、その場でお作りしているんです。「鮮度を大切」にを一番努力しているところです。
吉野
それは、大変ですね。でも、お客様にしては嬉しいことですよね。では、オーナーは、本当に菓子職人の仕事が好きなんですね。
長田氏
多くのお客様に来ていただける事が嬉しいし、仕事も大好きです。
でも僕は、お客様の口に入れる物なので、嘘偽りのあるようなものを作るんじゃなくて、安全なものを食べて頂きたいという基本的な部分を忘れずにしたいです。それが、基本です。
それと「ああやろう」とか「こうしたいね」とか将来パティシエに夢を持っている子たちとずっと働いていきたいですね。
若いスタッフたちの夢やエネルギーを叶えてあげられるお手伝いをしてあげたいと思っています。

吉野
長田オーナーがお若い時に一緒に働いていた方々と、今の若い方々というのは違いますか?
長田氏
基本は変わらないです。
僕たちの時代も、一緒に修業していた人で、親がケーキ屋でこの仕事を継がなきゃいけないという人もいましたけど辞めていった人たちいっぱいいました。
だから時代がああだから、こうだからという部分ではないですね。
だから今も一緒にやっていて、すごい10代の子たちがいっぱいいますよ。
吉野
菓子業界での厳しさってどんな所ですか?
長田氏
基本的な事を忙しさにかまけて、適当にしている場合に、ひどく叱られたりする場合があります。
僕の場合もそうでしたが、今となっては感謝しています。
職人の世界ですからね、納得云々と言うよりも決まりきった事はやらないといけないという所を、忙しさにかまけて、お客様の口に入る物だという事を忘れるような場合は、僕だって叱り飛ばします。ひどく叱るんでみんなビックリしますけど。
でもそれをしっかり受け止める子の方が簡単に店を辞めませんから。そういう子が、今店をやっています。
だってそこをキチッと教わっていなければ、自分がお店を持った時に、とんでもない事が起こってしまう可能性があるわけですからね。
吉野
関東のお店ってスイーツ雑誌に取り上げられる機会は多いと思うんですが。
長田氏
今までの多くの雑誌やテレビの取材の申込みがありましたが、僕はメディアに出せません。
メディアに出ると多くのお客様に来ていただいて、それも大変にありがたいと思うのです。ただその場合には、大変混雑して、いつも来ていただいている地元のお客様が大変に嫌な思いされます。特に僕のお店の立地条件でそんな事をしたら、とんでもない事になります。
そういう事を姿勢として見せていかないといけないと思うんです。
だって積み上げていくのはすごく時間がかかりますけど、落ちるのは一瞬です。
僕はお菓子屋なので、美味しいお菓子を毎日地道に作り続けるしかないですね。
吉野
今日は、長時間ありがとうございました。
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