吉野
生年月日とご出身地を教えてください。
坂田氏
1968年2月9日広島県呉市で生まれました。
吉野
小学校の頃の坂田オーナーは、どんな事に熱中されていましたか?
坂田氏
魚釣りですね。川ではハヤを釣ったりしてました。
瀬戸内に面してますので、海釣りにもよく行ってました。
自転車で海岸線伝いに隣の島まで、釣り場を探しながら30キロ位は平気で走ってました。
サヨリ、アジ、イワシ、カレイ、キスなど、釣って帰って食べるんです。
シェフ
あと、父が若い頃山岳会に入るほど山が好きでしたので、家族でキャンプに行って星を観察したりするのが楽しかったですね。
吉野
お父様がエーデルワイス洋菓子店を創業されたと伺いましたが、小さい頃から菓子職人になりたいというお気持ちはあったんですか?
坂田氏
ぜんぜんなかったんです。
小さい頃はテレビの刑事ドラマを観て、正義の味方に憧れていたんで、警察官になりたいと思ってました。
吉野
坂田オーナーは兄弟は?
坂田氏
妹と弟がいます。私が長男です。
吉野
お父様から菓子屋を継いでほしいという事を言われたことはなかったんですか?
坂田氏
父はそういう事は言わなかったです。私が小学生の頃は、自宅の一部が菓子工場だったんで、手伝ったりはしてましたけど、菓子屋になれとは一言も言われなかったですね。
吉野
家がケーキ屋さんだったらお友達から羨ましがられたんではないですか?
坂田氏
ありましたね。「いいなあ、毎日ケーキ食べれて。」とか言われてましたね。
確かにうちのケーキはよく食べてました。父の作るケーキは、素直に、旨いなあと思ってました。
吉野
パティシエになろうと思うようなきっかけはあったんですか?
坂田氏
中学生の時に、友達の家でクッキーを作ったことがあったんです。それで目覚めたというか、クッキー作りは楽しいなと。
しかも自分で初めて作った菓子がおいしかったんですよね。
ただ、その時は、パティシエになりたいというよりも、食全般に興味がわいてきたんです。元々、食べることは好きだったので、自然に食に興味を持ちました。
そこで、中学三年の時に、将来は食の仕事に就こうと思い、高校は県立西条農業高校の食品製造科に進むことに決めました。
吉野
その学校はどこにあるのですか?
坂田氏
東広島市です。遠くて通学できないので、高校の寮に入りました。今から思えば、寮に入ったのが良かったですね。
吉野
・・・と言うと?
坂田氏
寮生活で上下関係の礼儀など教えてもらいました。
私は子供の頃はおとなしい性格で引っ込み思案のところがありましたから、挨拶もろくにできませんでした。
当時の寮には体育会系の雰囲気があって、先輩に大声で挨拶しなければなりませんでした。
自然と挨拶や言葉使いが変化してきて、性格も前向きになってきました。
吉野
なるほど、寮生活で積極的になられたんですね。どうでしたか、高校での勉強は?
坂田氏
友達も、将来は食に関した仕事を目指してましたので、いろいろと話す機会も多く、情報交換もできて良かったです。
化学的に食品のことを学んだり、実習の機会も多かったので、勉強することが本当に楽しく感じられた時期でした。
この頃に、菓子職人の道を目指そうとはっきりと決めることができました。
吉野
高校を卒業されて、どうされたんですか?
坂田氏
菓子を学ぶために、東京製菓学校に行くことにしました。
当時は、大阪か東京にしか製菓学校はありませんでしたので、父に相談して決めました。
吉野
東京の製菓学校を選んだ理由は?
坂田氏
父が東京、母が神奈川の出身で、親戚もいましたしね。父も呉で創業するまでは、東京で修業時代を送ってました。
吉野
お父様は東京のご出身ですか?
坂田氏
はい、祖父は元々広島の出身ですが、東京で画家をしてまして、父は東京で生まれました。
父はドイツ人の店で19年間修業して、独立するにあたって親戚のいる呉に来たんです。
吉野
店内に飾ってある絵はどなたが描かれたんですか?
坂田氏
父です。祖父の影響で、趣味で絵を描いています。今は店を私に任せて、好きな山の絵を描いて季節ごとに掛け替えたりしてます。
エーデルワイスという名前も、父の山好きからついたものです。
2005年に店をリニューアルオープンした時に、カフェスペースを作りたくて二階をカフェにしたんですが、店内の内装も、アルプスの山小屋風にしました。
吉野
東京での学生生活はどうでしたか?
坂田氏
楽しかった、の一言です。好きなことを勉強してましたし、製菓学校も寮生活でしたので、ほとんど遊ぶこともなくお菓子の事に集中できました。東京は洋菓子店も多いので、ケーキの食べ歩きもよくしていました。
吉野
学校を卒業されてどこに入社されたんですか?
坂田氏
東京の「ドゥースフランス銀座 ビゴの店」です。
製菓学校の2年生の頃から、父の紹介もあってアルバイトをしていました。それで、卒業と同時に入りました。
吉野
アルバイトされていたら店の仕事に慣れるのも早かったんではないですか?
坂田氏
アルバイトは土日だけでしたし、仕事の流れ的なものは分かりますけど、表面的なものだけでしたから、社員として入ってみると目の回るような忙しさでした。アルバイトとは全然違っていました。
朝5時から夜の9時まで立ちっぱなしの仕事です。忙しい時には朝4時から出てました。慣れなくて辛いこともありましたが、それでもお菓子作りに毎日携わることができたんで楽しかったですね
吉野
お住まいはどちらだったんですか?
坂田氏
銀座の店の近くに会社の寮のマンションがありまして、そこに住んでました。
店には近いし、近くにはおいしい食べ物屋さんが多く、築地の市場も近かったので、恵まれた環境でした。
相変わらず、ケーキの食べ歩きもしていました。
吉野
気に入った店とかはありましたか?
坂田氏
神奈川県川崎市にある「リリエンベルグ」は、涙が出るほど感動しました。
オーナーシェフの横溝さんが、洋菓子学校の講師をされてたんですが、私が卒業してから一年後くらいに「リリエンベルグ」をオープンされたんです。今でも私の菓子作りに影響を与えてくれています。
吉野
ビゴの店は、フランスの方が経営されているんでしょ?
坂田氏
ええ、社長はフィリップ・ビゴ氏です。ビゴの店は、ビゴさんがフランスパンとフランスの伝統的な菓子の店として始めたんです。
「ドゥースフランス銀座」では当時、菓子のシェフもフランス人でした。「フォション」出身のシェフで、飴細工やクラシックな菓子を教えてもらいました。
私がシェフになってからは、ビゴさんにフランスへ連れて行っていただき、本場の味や食材を見ることができました。いろいろと見聞を広げることができて貴重な体験になりました。
吉野
「ドゥースフランス銀座」では何年くらい働かれたんですか?
坂田氏
9年半いました。
吉野
その後、どうされたんですか?

文字

坂田氏
呉に戻りました。父が病気になったということもあり、そろそろ実家の店を継ぐ時かなと思ったんです。29歳の時でした。
吉野
お父様はドイツ人から菓子作りを教わったと聞きましたが、坂田オーナーの場合はフランス菓子ですよね。
仕事をされる上での違いはありましたか?
坂田氏
そうですね。ドイツ菓子とフランス菓子とでは、菓子の考え方そのものや、工程、システムが違います。
東京で身に付けた菓子作りと比べると違和感はありました。
フランス菓子の場合は、その日に作ってその日に出す、という菓子作りですが、ドイツ菓子の場合は、生地を時間をかけて作るものが多いので、一日で作るという発想は少ないんです。生地を寝かしたりすることもあるので、少量ずつ作るということはせずに一度にまとめて仕込みをします。しっかり焼き込んだ重めの菓子が多いですね。
そういう、お菓子の個性から生じる工程の違いは理解はできるんですが、父との衝突も多かったです。
吉野
色んなオーナーさんが「東京で習ってきたお菓子を、自分の田舎で作っても売れない」というお話をされるのを聞くのですが、坂田オーナーの場合どうでしたか?
坂田氏
自分が学んできた菓子は、最初は売れなかったですね。やはり、父が培ってきたエーデルワイスの味とは違うので、エーデルワイスの味に親しんでこられたお客様には馴染みがないからでしょうね。
ただ、私が学んだフランス菓子は、比較的どっしりとしたクラシックなものが多かったので、それを応用しながら試行錯誤しています。
吉野
お父様のお菓子が呉の方々に浸透しているんでしょうね。
坂田氏
エーデルワイスの菓子は、流行りの菓子とはまったく異なります。長い時間をかけて呉の街に受け入れられてきた味ですから、その部分は変えてはいけないと思っています。
吉野
その街に受け入れられている味は、ひとつの文化みたいなものですからね。
坂田氏
そうですね。父が創業したのが1965年ですから店の歴史はもう45年になります。
創業当時からのロングセラーであるクリームパイを始め、二世代三世代にわたるお客様からご支持いただいている商品も多くあります。同じ職人の道を歩むようになって、父の菓子職人としての歴史の積み重ねは貴重なものだと実感しています。
私も小さい頃から父のお菓子を食べて育ってますんで、もちろん味の原点になってますが、呉で最初の洋菓子店だったこともあり、呉のお客さまにとっても、洋菓子の味の原点はエーデルワイスにあるのではないかと思うんです。そういう気持ちで、守るべき味を守りながら、また新しい味を探求していきたいと思っています。
吉野
歴史ある老舗の伝統の味と新しい味の融合ですね。今後、どのようなお店の展開をお考えですか?
坂田氏
今、この本店と、百貨店のそごう呉店内に支店がありますが、これ以上は広げていくつもりはありません。自分の目と手の届く範囲でやっていきたいと思っています。
自分の作った菓子が、クリームパイのように長く愛されるものになるといいですね。
吉野
では、最近は製菓学校が多く、菓子職人になりたいと思っている人が増えてきているんですが、そういう方にアドバイスをお願いします。
坂田氏
製菓学校に行った場合、どうしても理論から先に入ってしまいます。卒業して、洋菓子店に入って実際の仕事をすると、「学校ではこうだった」とか「理論上おかしいのでは?」という事に頻繁に直面します。
でも、その店のやり方で個性ある菓子ができあがってくるのですから、店で教わる事をまず一番に考えてください。製菓学校を出れば何でもすぐできると思いがちですが、菓子が作れるというのと、商品として作れるというのは同じではないですしね。
吉野
製菓学校では入り口の知識を提供するということですね。
坂田氏
製菓学校は講師の先生や友人たちとの交流も楽しいし、卒業後にも影響しあいながら、自分の刺激にもなります。
製菓学校を出ていなくても、他の仕事から転職してきた子もうちの店にはいますが、いずれにせよ、まずは、まっさらな頭で菓子作りに向き合ってもらいたいと思います
吉野
菓子職人になるには、若いほうが有利ですか?
坂田氏
若ければ若いほど吸収も早いですよね。身体で覚える仕事ですから若いほうがいいと思います。
やはり20代で始めるのがいいですかね。体力的にも充実してますし。
吉野
菓子職人にとって大切な事って何ですか?

坂田氏
何といっても衛生面に細心の注意を払う事が一番大切です。
お客様の口に入るものを作っているんだという意識を常に忘れてはならないですね。どんなコンディションでも安心して召し上がっていただける菓子を作ることが大切です。
それと、職人にとっては、菓子が好きかどうか、です。菓子が好きで、どれだけ菓子を知っているかで菓子作りの幅が広がります。
常に菓子に興味を持ち、引き出しを一杯持つことが職人として大切でしょうね。
吉野
東京にいる時は洋菓子店を食べ歩きされてたんでしょ?
坂田氏
今でもしてますよ。菓子だけでなく、食べることが好きですからね。たまの旅行に行ってもその土地の旨いものを食べる・・・食べることを目的に出かけてるようなものです。
自分で料理するのも好きですね。読む本も自然と食べ物の本になりますね。
吉野
坂田オーナーを見ているとお菓子はもちろん食に関わる事が本当に幸せなんだなと、うらやましくなりますね。
坂田氏
大好きな菓子作りという環境にいられることに本当に感謝しています。
食べ物はお腹を満たすだけのものではないと思っています。心も満たしてくれると思います。
ですから、自分も美味しいものを食べて幸せな気持ちになりたいし、お客様にもシンプルでストレートに美味しさが伝わるような菓子を召し上がっていただきたいと思います。
吉野
クリームパイを越える銘菓を作ってください。
坂田氏
ひとつだけでも、人の心にずっと残るような菓子を作りたいですね。
吉野
今日はありがとうございました。
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